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77 キノコ雲の下でして広がっていた。 たった一発の原子爆弾で数十万の人で賑わっていた街々が、そこに住む幾万人もの犠牲者を伴って、一遍に灰じんに帰してしまった。想像を絶する光景であった。「十月から江波の校舎で学校が再開される」と見舞いにきてくれた学友が教えてくれた。十月に入って二・三日して、左腕にはまだ包帯が残っていたが、登校を始めた。 学校に行ってみると、二年生の数はうんと少なくなっていた。当時、学徒動員で工場に派遣されていたニ年第三組が八月六日の当日、たまたま市内中心部の建物疎開のため出動してゆき、全滅したとの悲しい事実を聞かされた。結局、二年生は元の五クラスから三クラスへと減ってしまっていた。 全滅した第三組の中には、一年生のとき私と同じ第四組で隣席同士であったM君が含まれていた。M君とは大の仲良しで、夏休みには彼のお宅に招かれて御馳走になったり、近くの太田川で水遊びをしたりした楽しい思いでもある。二年生に進級するときクラスの編成替えがあり、彼は第三組に移り、私は第四組に残ることになった。この組替えが互いの運命を分かち、M君と幽明境を異にすることになろうとは!定無き世とはいえ、余りにも苛酷であり、痛恨の極みである。 私の家族では、私が負傷しただけで、自宅も焼失を免れた。私もこの年まで、致命的な原爆症の徴候もなく、元気で送ることができた。 もちろん、多くの方々に助けていただいたお蔭で今日まで生き長らえることができたのであって、あらためて感謝するとともに、あの忌まわしいキノコ雲の下で同じように被爆し、そして散っていった多くの学友の死を悼み、御霊安かれと心からの祈りを捧げる次第である。