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概要

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76食われて死んでゆくと思ったのか、母は神経質に私に集まってくる蝿を必死に追い払う。お陰でわたしの傷口には蛆がわかなくて済んだ。 私の火傷は、あのとき左前方から熱線を受けたため、頭部、顔面、頸部は真中から左側全面、左上肢の肩先から指まで外側全面、左大腿部の外側一部、左胸の一部など広範囲にわたった。とくに露出個所が重傷であった。その傷口がすべて化膿し、多量の膿が滲み出た。傷口に張られたガーゼはこびりつく。ここでの治療は、一日一回このガーゼを剥がして傷口を消毒し新しいガーゼを張りつけておくだけ。当番の衛生兵が大きな会議机の上に患者を載せて次々と手早く処置する。その荒療治の痛かったこと、いつも悲鳴をあげていた。八月十五日の終戦の知らせも、この救護所で痛みと高熱に呻吟しているさ中で、虚な思いで伝え聞いた。 ここでの治療も日がたつにつれて効果が出始め、八月も末にもなると自分で起きあがることもできるようになり、やがて杖をついて歩けるようになった。 九月に入って間もない頃、小型の台風であったのか大雨と強風に見舞われた。窓一つない吹きさらしの半壊校舎の中で風雨を避けるのに悪戦苦闘した。次に大きな台風が来たら倒壊するかも知れない、そんな不安もあって、傷も体調も快方に向かっていたし、一応ここを引き揚げて自宅に戻ることにした。九月十日頃であった。 自宅では、救護所で貰ってきた消毒薬などで母が衛生兵よろしく治療してくれた。九月も下旬になる頃には、傷もほとんど治癒し、自由に歩けるようになった。全治二カ月にわたる火傷と高熱との戦いであった。母の付き切りの看病もあって愁眉をひらいた。 九月末のある日、歩行訓練を兼ねて市内の様子を見ようと自宅を出た。あのとき逃げ帰った道を辿り、自分が被爆したあの校庭の傍を通り、川に飛び込んだ所を眼にしながら、比治山のふもと京橋川の川岸に立って中心部の方を眺めた。なんと市街は見渡すかぎりの赤茶けた焦土と化していた。はるか西方の己斐の山麓まで眼を遮るものひとつない一望の焼野が原が荒寥と