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概要

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75 キノコ雲の下でゆく。四十度前後の高熱が毎日続く。頭髪は全部抜けた。水は相変わらず飲ませて貰えない。全身の痛み、咽の乾き、身動き一つできない状態で、苦しさに死ぬ思いであった。 こうして一週間近くがたったある日、専売局(現、南区皆実町、日本たばこ産業・広島工場)の中で軍の救護班が負傷者の治療をしていると聞かされ、つれていってもらうことになった。近所の八百屋さんで荷車を借りてきて、荷台に私を載せ両親が引っ張ってゆく。着いてみると、テント張りの中で数人の衛生兵がケガ人の手当をしていた。私もとりあえず応急処置をしてもらったが、ここでは当座のことしかできないので、私の傷の程度からして、できれば比治山裏の第一高等国民学校(現、段原山崎町、段原中学校)に軍の救護所が設けられ、重傷者を収容し治療しているので、そちらに行った方がよいとの指示をもらった。直ちにまた荷車に載せられて、その学校につれてゆかれた。 その学校の校舎もひどく破壊されていて、天井は落ちて取り除かれ、屋根の破れから空が見える。そこには大勢の重傷者が収容されていて、少数の軍医と衛生兵で治療に当たっていた。各教室の床には所狭しと負傷者が寝かされて満杯状態であった。私は二階の大教室にスペースを確保してもらい、床板の上にゴザとふとんを敷いて寝かされた。八月十日過ぎのことであった。こうして、ここでの一カ月近くにわたる治療が始まった。 母が無事でいて、四六時中付き添って看病してくれたのが幸いであった。 私は身動き一つできないし、両方の瞼も腫れ上がって視野も狭く、周囲もよく分からなかったが、母の話によると、ここの収容所の中からは毎日のように何人もの死亡者が出ていたようで、その遺体を校庭の片隅で荼毘に付する。その匂いに随分と母は悩まされた。 それと、なぜか蝿が異常発生していて、それが負傷者の傷に群がり卵を産みつけ、傷口に沢山の蛆がわく。ことに付添人のいない重体の人に多くみられ、そんな人が次々に亡くなってゆく。生身の人間が蛆虫に