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概要

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74に出ていてケガ一つしないで済んだ。もし家の中にいたら相当の深傷を受けていただろうと想像される。火傷には油を塗るとよいと聞いていたので母はもう一度、硼酸の粉を食用油で溶いて、私の傷口に塗ってガーゼで覆い包帯を巻いてくれた。しかし、やはり病院で治療を受けた方がよいと再度、共済病院に私をつれて行った。 病院は先ほどより一層混雑を極め、内部に入り切れないで外まで負傷者が溢れていた。自宅で応急処置をして包帯など巻いてきた私などは全く取り合っても貰えなかった。丁度そのとき、空襲警報のサイレンが鳴った。母と私は慌てて防空壕に避難した。再度空襲の不安もあるし、このまま病院に留まってもケガ人の数は増えるばかりで到底だめだろうと諦めて、家に戻ることにした。 家の中は、床がめくれ上がったり、壊れた窓や建具・天井などの残骸で足の踏み場もないほどであったので、仕方なく道路端に掘られた小さな防空壕の中で横になった。すでに正午を過ぎていた。時折、壕の中から外をみると、沢山の負傷者がひきも切らず、よたよたと宇品町方面へ避難してゆく。衣服も体も焼かれて半裸で皮膚のたれ下った火傷の人、血を流している人等々、列をなしてゆく。火傷の人の多くは「水を下さい。水を……。」といいながら。しかし一方では「火傷の人には水を飲ませてはいけない!」といって防衛隊員などが叫んで廻る。トラックも同じような負傷者を満載して何台も次々と宇品方面に向かって走ってゆく。皆実町の方をみると猛烈な黒煙を吹きあげて燃え盛っている。地獄絵のような光景であった。 夕方近くになって父が市外廿日市町の勤務先から七・八時間かかって歩いて帰ってきた。途中、猛火に包まれる市内の町々を、火の粉を払いながら、あるいは時には水をかぶりながら通り抜け、また沢山の遺体や瀕死のケガ人が溢れる惨状を目の当たりにしながらも、家族の安否が心配で非情ながら道を急いだとのことであった。父は私の変わり果てた様相をみて驚き、本当にこれがわが子かと自分の眼を疑ったという。 日増しに火傷の症状は悪化し、化膿がひどくなって