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概要

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71 キノコ雲の下でであろうと推測する。広島地方で原爆のことをピカドンといえばお互いに通じた言葉であったが、最近の若い者に話してもよくされない者が多くなったようである、「過ちはもう二度と繰り返しません」誓いの言葉の意味を国民全員に、よく味わって頂きたいものである。私が被爆者健康手帳を受けたのは昭和五十三年十月であり、実際には授かりたくない手帳であった。手帳には爆心地から二キロメートルとなっている。犠牲となられた人々の御冥福を祈念し、全世界に核兵器が無くなることを切望している。キノコ雲の下で藤田 道男 昭和二十年八月。普通であれば学校は夏休みに入っている時期であるが、その年は、戦況も悪化し急迫をつげていたため、夏休みも返上で、いわゆる勤労奉仕に出動させられていた。 当時、私は二年生。三年生以上は、その前の年から学徒動員で工場に派遣されていて不在。さらにその年。二年生になったばかりのわれわれの学年からも、第三組が市内の某工場に動員されていった。したがって、通学生徒は一年生五クラスと二年生の四クラスのみであった。 広島市内では当時、空襲に備えて防火ゾーンを形成するための建物撤去計画が大々的に進められていて、その作業の手伝いに、市内の中学校・女学校の一・二