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概要

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69 警報なき空あった、苦しく生きながらえた日々を思い浮かべて生存を確かめ合った。級友で六十名以上の犠牲者がありご冥福を祈念した。 学校の窓硝子はメチャクチャにこわれていて、これで勉強が出来るのかと思った。するとまもなく学校から、これから寒くなるので窓硝子を入れるので寄付をするようにとのことで徴収があった。その間ところどころの窓には板が打ち付けて張られていた。 戦後は食糧不足であり、学校からの帰り道で橋の横の川土手から、川岸に降りて石垣についている小さいカキを取って、川の水で洗って食べるとおいしく、その時の味は忘れられない。又、畑のはずれの民家に寄って朝鮮アメを買って、食べながら土橋の電車停留所まで歩くのが楽しみであった。足は怪我をしていないので、歩くことは元気であった。学校に通学しだして間もなく講堂に於いて身体検査が実施された、机も椅子も無い広い講堂の中で縦に長い列で並ばされて火傷の状態や負傷の箇所を調査し記録された。これは健康診断では無く実態調査であったことが後でわかった。 被爆したことはケロイドさえ無ければ他の人には解らないのであるが、火傷したことは残念でたまらない。太陽の光に当たっていた箇所は全部やられており、白シャツを着ておってもシャツの表面は焼けていないのに陽に当たっていた内側の肉は火傷をしていた。ズボンは布が厚く出来ているので、表面が爪で縦にカグッタように黒く、焼跡が数箇所ついていても内側は無事であった。これを後で悪魔の爪痕といっていた。 十一月中旬頃、学校からの帰り道で羽田別荘の中を近道になるので、よく通ったものである。庭の南側に防空壕があって中を覗いてみると、雨水が溜り数体の黒い衣服を着けた死体が未処理のままで放置してあり、何ともいえない悪臭がしていた。その庭の東側道路付近は焼跡の整理がされていないので、人骨が散乱して有り歩くとグサッグサッと音がするので靴の下を見ると骨であった。以後はその付近は通らないようにした。当時は江波線の電車は不通で土橋まで歩き、そ