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概要

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58あった。 広島電鉄の市内電車軌道工事は、土橋から舟入本町の間が昭和十八年末に完成し、翌年の春から江波まで延長工事が始り六月中旬に単線で開通した、昭和二十年三月上旬に複線化している。比治山下経由の的場から皆実町三丁目の区間は昭和二十年六月下旬に複線で工事が完了し開通。原爆による戦災で、土橋から江波口までの江波線は、昭和二十二年の秋十一月に復旧し、比治山下経由は昭和二十三年七月に復旧し開通した。戦後は市内電車での通学が許可されたので、学校から土橋の電車停留場間を歩き広島駅の区間を満員電車ではあったが戦時中のことを思えば乗車することができて楽になった、特に冬季の雨降りの場合は助かったと感じたものである。 皆実町の校舎では、体操の時間以外に教練の授業が増えて、手りゅう弾の投げ方や竹槍で突きの訓練を多く鍛えられた。校庭の横に防空壕を何カ所もスコップで掘って造る、重労働であり戦争に勝つまでは、国民全員で頑張るのだと教え込まれたものである。原爆の落とされる二日前の朝礼で、学校長の訓話があり「あまりにも暑い毎日が続き、欠席する者が有るようであるが、少々の事で学校に出て来ないとは何事か、足が悪くて痛ければ這ってでも来るように…」と厳しく激しい説教があった。 建物疎開の勤労奉仕は何日も続いており皆んなへとへとに疲れている毎日であった。作業する現場は平野町、富士見町、宝町方面であり木造の家を解体し、敵の飛行機による空襲で、火災が発生した場合に、延焼を防ぐ為の火の道を断つ、遮断線に当たった民家を間引き壊す作業である。誰がどこの家を壊す線を引き決定したものか、不平も言わされずに立ち退いたものだと、今頃に考えれば感心する。 仕事の内容は家の柱を鋸で切りロープで引き倒す、砂埃がもうもうと立ちのぼり全身が汗と埃で、夏の暑い陽射しの中で、重い材木はかつぎ寄せて瓦礫はスコップ等で運ぶので、身体が倒れないのが不思議なようであった。服を着たまま川に飛び込みたいような日が続いていた。これ等も戦争に勝つまでは…と皆んな