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概要

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50て父たちはむなしく夕暮れの焼け野が原を帰ってきた。 燃え続ける油タンクや木材防腐会社の電柱が、東の空、北の空を焦がし、赤く見えていた。 その次の日も、またその翌日も、幼い私たちを連れ、母も、父も、祖父母たちも代わる代わる兄を探し続けた。しかし、兄は、あの焦げた上着と、防空頭巾、弁当行李を残しただけで、遂に行方不明。 父はこの話をする度に涙ぐむ。私は兄の姿を記憶の中に求める!終わり この文章は、昭和三十三年八月十日発行 政治経済研究会の「政治経済セミナー」誌八月号に掲載された。平成十六年八月二十七日、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を見学した際、体験記の索引を係の方が教えてくださり、この号に載っていることを知り、広島平和記念資料館の資料室にあるかもとご教授いただいた。資料館・資料室で調べていただき見つけた。早速コピーして持ち帰り、誤字脱字を訂正、原文へ付け加えたいことを幾分追加記入した。追記 八・六が近くなると、無口になった母が、「行かさなければ…、止めとけば…」と呟いた。「浩兄がおれば、あんたらを大学へ行かせられたのに…」「悔しゅうて、悔しゅうて」とも言っていた。その母も今はもういない!!  山田さんのこと、昭和二十年八月の半ばごろに、山田さんの両親が尋ねてこられ、行方がわからないとのことであった。父は、町内会への伝達で、似島へ行く多くの負傷者が搬送されたことを知っていたので、江波陸軍病院にいなければ、似島へ行かれたらとお教えした。その結果、半死半生の山田さんが似島で見つかり、親子の対面がかなったが、程なくしてお亡くなりになったとのことでした。(※現在の中央市場のある所―昭和三十三年当時の中央市場、現在は広島厚生年金会館)舟入高校三年E組 木村 睦夫(舟入十期)