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概要

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47 兄の上着と防空頭巾兄の上着と防空頭巾木村 睦夫 静かに横たわる太田川、今日も伝馬船が行き交っている。黄色に熟れた夏蜜柑を積み、快いエンジン音を緑に覆われた小さな丘へ響かせながら……。カラリと晴れた青空へぐんと突き出した入道雲、もう夏の景色だ。 この平和な静かな姿。この静かな景色の中で、僕の心は亡き兄を想い起こしている。 昭和二十年八月六日、あの日兄はカブレで腫れた顔で、母の制止も聞かずに登校した。八時十五分「パッ」一瞬のきらめき「あっ、空襲だ」母が裏の台所から飛び出てくる。僕は母にしがみつく。「バリバリ、ガッチャーン」ガラスがふっとんだ。むっとする熱風、爆風だ。母は、直ぐ上の姉と僕、弟の三人を連れ、本川の水中に身を浸す。傍へ黒い魚がヒョロヒョロと寄ってきた。フンワリと腹を返した。白い腹が八月の太陽に輝いた。背を焼かれたイダだった。 その頃、市中は至る所に火、火の海である。人々が盛んに騒ぎ始めた。川から土手へ上ったら、近所で火災が起こっていた。怒り狂う炎は、さながら紅蓮地獄である。町内会の役員をしていた父は、丁度、会の事務所で仕事をしていたのだが、吹き飛んだガラスで、頭と腕にした怪我を治療もせずに、血だらけの姿で消火に行った。沖へ漁に出ていた祖父も帰り、僕たちは小さな和船で、対岸の吉島飛行場へ避難した。 その頃には、土手道を市内方面から、両手を前へ突き出し皮膚が垂れ、着衣は焼け焦げた人たちが、続々と江波の二本松の陸軍病院の方へ行く姿が見え始めた。土手の上に見える大叔母の家へその人たちが入り込み、衣桁に掛けてあった浴衣や手拭いを自分の身に付けたり、包帯の代わりにするのが遠望でき、早く帰ろうということとなった。 一方、父は兄が心配なので探しに出かけた。そのとき兄は「広島市立造船工業学校」の一年生であった。