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概要

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43 弟を思うがったケロイドを残した者に金環食と言う仇名をつけたり、両側の耳の前部、後頬部にケロイドを有する同級生を生物の蛙の解剖以後、声帯と言うひどい仇名で呼んだり、でも生き残り同志の連帯感は強く、三十四年を経た今日でもお互いに連絡があり、その中の一人とは現在にいたる迄親友関係を続けている事からも、若し田中君が生きていれば友誼が続いていたのかもと残念です。こう言う事を今年四十七歳になった私が自然に書ける事も、私自身少し不思議なのですが―。 最後に、本日かかる小学生の作文の様な手紙をながながと書いた目的ですが、あるいはお母さんが田中君に対して、あの食糧も乏しい過酷な時代、軍国主義遵法の中学校に入れて、遂には悲惨な最期をとげさせられた事について、痛恨の情を抱いていらっしゃる事かとも思われ、ただ私達、当時ああ言った情勢下でも子供は子供としての結構楽しい日も送っていた事をお知らせしたかったからです。 一昨年五十二年八月、久しぶりに帰広し、生き残りの親友と二人、天満川土手の市中慰霊碑の前で黙祷した時には、田中君の御家族の御無事を知りませんでしたが、今回お葉書きにより、お兄さんが御無事に御家業を継続されている事を知り、なにか安心いたしました。此の手紙を、きたる八月六日、田中君の御仏前にお供えいただければ幸いです。 私事、新制高校編成時、国泰寺高校に入り、広島大学政経学部二年より医学部に転部、大学病院、三菱病院勤務のあと、昭和四十一年上京。十年前より現住所にて小児科医院開業しています。御上京の節、機会がございましたら是非お立寄り下さい。 乱筆乱文失礼いたしました。御母堂様の御長寿のほどお祈り申し上げます。』 弟のことを以上のように詳しくお知らせ戴き、弟薫の短かった学生生活の一端がよくわかりました。宮本様の「思い出の便り」が今では唯一の心の安らぎになります。当時の母も繰り返し繰り返し手紙を読み大変よろこんでいました。 平成十三年十一月私が上京したときお会いし、昼食