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概要

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37 被爆六十年の回顧眼を開けると私は数人の焼死体の前で向き合っていた。横に並んで腰かけたままの姿でその表情は苦痛に歪ゆがみ私に何かをうったえたい様であった。私は怒りに身が震え思わず手を合わせた。 再び我にかえり、家族を探し求めるうち、わが家にあって防火用水槽が目印となってやっと焼け跡を見つけ遺骨の有無を探ったが見当らなかった。生きて何処かに避難したと信じ焼けズミで私の連絡先と伝言を防火用水槽に書き込み以後連日に亘って死傷者の収容所を捜索する日々が続いた。 しかし家族を探し当てることは殆ど不可能に近かった。何故なら罹災者の多くが損傷はげしく男女の性別や顔かたちすら判別できない程ひどいものであった。日中は殆ど飲まず喰わずで探し求め遂には汗も出なくなり、苦しさに死に果てる思いをした。 そして、一週間が過ぎた頃、母と長姉にめぐり会うことができた。その時の話では、二人は家屋の下敷となったが辛うじて脱出し手足にひどい裂傷を負いながら避難所に逃れて倒れておったという。応急手当を受け意識が回復したと気付いたとき二人は支え合う様にして焼け跡に戻り私の伝言を見て初めて私の無事を知ったと云う。逢えた嬉しさに涙がとまらなかった。 次姉は八月六日の八時前に家を出たまま消息を絶ち行方不明となった。勤務先が爆心地に近く事務所に向う途中で被爆したのであろうか。そうだとすれば恐らく他の多くのご遺体と共に荼だ毘びに付されたであろう。 生きて再会した喜びも束の間、母と長姉も一ヶ月後に相次ぎ原爆症で還らぬ人となった。頼みとしていた義兄(長姉の夫)もビスマルク諸島で戦死した。広報が届いたのは戦後間もなくのことである。海軍少佐、二十六才の死であった。 天涯孤独となった私は来し方行く末を考えたとき云い表せぬ寂寥感に包まれたが今日を生きることで涙する余裕もなかった。 今日まで生きて来られたことが不思議である。 省みれば長い年月、多くの善意に支えられ、死者の声にも励まされて生きて来られたのだと思う。 原子爆弾による卑ひ怯きょう陋ろう劣れつな手段で無む辜この人々を殺