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概要

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29 県工寄宿舎の思い出であった。 青白い閃光は走り、物凄い爆風とともに投げ飛ばされ、気がついた時は、大きな梁や木材の下敷きになっていた。咄嗟の出来事なので、何がおきたのか判断できなかったが、隣の塗料工場に大量の焼夷爆弾が投下され大爆発を起こしたのではないかと思った。大音響が聞こえなかったのは今でも不思議でならない。 薄明かりの射す方向を目指して這い上がって見ると、数カ所の切り傷から血が流れていた。梁の下でうめき声を上げている二人に手を貸して一緒に逃げた。何処をどう徘徊したのか記憶にないが、寮に帰って間もなく、動員で出掛けていた寮生の、見るも無惨な姿に出会うことになった。 電気科一年生で四号室に入寮していた、同郷の上田の姿を、ついに見ることは無かった。水主町の動員先で、原爆のため非業の死を遂げたのである。午後三時頃、寮生が集められ、同じ方向に郷里がある者はまとまって帰宅することになり、岡谷、久保田、私の他に二名だったか、可部線の駅を目指して、帰路につくことになった。 南大橋―千田町に出て、電車の線路に沿って―市役所前―紙屋町―西練兵場―白島町を過ぎて、長束駅に向かった。その間の光景は筆舌で語れないほど、この世とは思われない凄惨な生き地獄を目の前にしたのである。(この間のことを後に岡谷、久保田が克明に手記として残してくれている)やっとの思いで飯室の自宅に辿り着いたのは、辺りが暗い午後八時頃であった。げっそり痩せて、ぼろぼろの衣服を身にまとい、血だらけの顔をした私の姿を見て、両親は呆然としていた。母が駆け寄って抱きしめてくれた温もりは今も忘れない。 終戦後の秋だったか、授業が再開されたというので、千田町の母校を訪れた。延焼は免れていたが、校舎は倒壊し、無惨な姿で放置されていた。 それでも、机と腰掛けを整え、「青空教室」と称して、軍服姿の先生が教鞭をとっていた。寒い朝など、机の霜を払いのけたりもした。雨が降れば授業は中断し、休校になる日もあった。 やむなく私は、当分の間、自宅の飯室から三時間ぐら