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概要

gakuto

28る。なぜ殴られるのか、その理由のほとんどは理解できなかったが、自習中の私語、廊下の歩き方、言葉遣いや言動が気にいらない、掃除が不完全、動作が鈍い、等々が主な理由であったように思われる。 一人の言動は、全員の連帯責任として問われ、ひどい時には、激しい鉄拳のため頬が腫れあがり、口内から血を流す者もいた。軍隊流の皇国精神を注入する方法は、寄宿舎にも浸透していたのであろうか。 毎夜続く理不尽な制裁に、寝床の中で、声を殺して泣くことはあっても、決して人前で涙を見せるようなことは無かった。ひたすら耐え、忍ぶことを強いられたのである。今にして思えば、当時の上級生とて、軍需工場に学徒動員として毎日出かけ、過酷な労働による疲労や欲求不満が増幅し、うっぷん晴らしの結果として、屈折した「いじめ的行為」にはしっていたのではないかと思う。 今一つ、成長盛りの少年にとっての悩みは、毎日の空腹と飢餓感に耐えねばならなかったことである。戦局は極度に悪化する中で、特に食糧事情は悪かった。朝はジャガイモ二個と貝汁、昼は弁当箱に半分程度のコウリャンと大豆滓、米が少々。あまりの空腹に耐えかねて、昼食であるはずの弁当を、朝食べてしまうので、昼は絶食で過ごしたこともしばしばであった。飽食の今日、想像もつかない惨めなものであった。 六月の終わりには、一年生も水主町付近の家屋疎開に動員され、倒壊した家屋の材木運搬という重労働に従事されられたが、空腹を抱えた少年の肩には、その木材や壁土等はあまりにも重かった。七月に入ると、頻繁に警戒や空襲警報が発令され、その度に防空壕に避難することが多くなった。すでに、戦局も末期的症状に陥っていたのである。 八月六日の朝。運命の八時十五分、未曾有の大惨事が起きることを誰が予測したであろうか。その朝、食事が終わって、「一年生の一部は、寮の防衛に当たらせるので、残寮するように」という舎監の命令が伝えられた。 その一言が一年生の生死を分けたのである。「今日は休める」その時はすでに警戒警報は解除されていたので、安堵感と喜びから二階の自室に座りこんだ瞬間