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概要

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302裸足で途中わらじをもらい履いていました。それから二、三日過ってから初期障害が出始まり脱毛するなど全ての障害が表れ、医者からも見放されましたが、家族の献身的な看病のお陰で九死一死を得ることができました。 一緒に学徒隊として出動していた一、二年生四百十名中四百六名、引率の先生六名全員が犠牲になりました。 犠牲者一人一人に遺族の思い悲しみがあることを痛切に感じ、亡くなった学友の果せなかった願いを今生きている私は背負っているのだと思います。余りにも少ない生存者であるため生き残ったことを喜べない、生き残ったことを罪のように思うこともありました。 今は生き残った者として被爆の残酷さを語り伝え平和の尊さ、命の尊さを訴えていかねばならないと思っている。一発で楽しい家庭の崩ホウ壊カイ小田 敬三 忘れも出来ない一九四五年八月六日(第一月曜日)…… あの日は一年前学校の授業から工場へと学徒動員に変わり、毎日軍需生産に励んでおった私たちにとって待望の休日でありました。朝六時に起こされて朝食をとり、昼弁当を持って七時半頃に家を出て、船越町の「日本製鋼所広島製作所」へとむかっていた者が、朝のんびりと七時過ぎに起き、父の仕事へ出るために朝食をとったのです。これが、私たち親子三人の人生最後の「朝食」となるのも知らずに食べたのです。朝食をすますと父は私に「水槽の水を満杯にしておくことと銀行へ預金に行くこと」の二つのことを言つけて家を出ました。