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概要

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299 爆心から八〇〇メートルの被爆爆心から八百メートルの被爆竹村 伸生 昭和二十年四月私は希望を抱いて崇徳中学に入学しました。 当時は全国民が戦争に参加する体制がつくられていて中等学校以上の生徒には学校戦時動員体制が確立され、昭和二十年四月からは一年間授業を停止することになっていました。五年生は宿泊動員、三、四年生は通勤動員で学校は一、二年生だけで、空いた校舎には鉄道大隊二百人の兵舎になっていました。 私たち一、二年生は、午前中は授業を受けて、午後からは、楠木町付近の軍需工場へ行って作業したり、出征兵士の農家へ農作業の手伝いや、建物疎開の後片付作業などに従事していました。 八月三日頃から学徒隊として土橋付近、中島地区と建物疎開の後片付作業に動員されていた。八月六日は急遽八丁堀付近市電白島線沿線となった。 八月六日の朝警戒警報発令中の七時過ぎ疎開先の安佐郡祇園町長束(現在の安佐南区長束)を父と一緒に可部線安芸長束駅から電車に乗る三滝駅で離合停車している七時三十一分警戒警報が解除になりました。 終点横川駅で電車を降り前日負傷(足の裏に釘がささる)した足をかばいながら八丁堀へ。父は市電に乗り皆実町の専売局へ向いました。 私は八時少し前八丁堀の京口門付近に到着しました。作業場所は営林署、財務局、税務署の前になりました。六日の朝は八時というのに大変蒸し暑く、空は雲一つない青空でした。八時十分頃点呼が終り引率の先生から作業の指示があり「作業に掛かれ」と命令されました。私は前日の作業中に負傷した傷が痛むので担任の立石先生に作業を休ませて下さいとお願いすると「頑張らんか?」と言われましたが再度お願いするとそれでは皆んなの荷物(防空頭巾や弁当の入ったカバン)の番をするように言われたので電車の線路を挟