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概要

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16た。でも、その痛かったこと、生きた心地はありませんでした。 医者の薬はありませんでしたが、顔のやけどには、じゃがいもを擦りおろして湿布をしてくれたりしました。二か月ぐらい過ぎた頃から、だんだんと良くなり、白い皮膚ができてきました。 その年の十二月、学校から本籍を通して、手紙が来ました。それから登校しだしました。 ある寒い晴れた日の朝、被爆現地に碑を立てるためだったと思うのですが、碑とつるはしを担いで行きました。戦争中のことを思い出しながら、もうその時は、空気までがおいしく感じられるほど、自由で解放された気持ちになれたことを感じました。遺品も集めましたが、ひとつひとつ手にする度に、「これ、誰のべえ」 などと冗談をいったりしたものです。 終戦から少し過ぎて、GHQから被爆体験の作文を書くよう要請があったことがあります。私が書くことになり、私は思っているままに、アメリカは憎い、ピカドンは恐ろしい、といった内容の作文を書いて先生に提出したところ、「こんなことは書いてはいけない」 と叱られて、びっくりしたことがあります。 毎年八月六日が巡ってきます。慰霊祭にはいつも参加するのですが、生き残りの私は、いつも遺族の視線を辛く感じていました。ですが、ふと気づいたことは、遺族の方たちの視線は、在校生の若い生徒を向いているのです。遺族の方たちの思いの中では、時は止まっていて、息子さんたちはいつまでも、中学生のままの十二歳、十三歳なんです。 私は何だかほっとした気分になりました。 私には、忘れられない思いがあります。 夏は、被爆の日のこと。 秋は、父の死んだこと。父は一・五㎞のところで被爆しました。五年後の夏のことですが、「からだがだるい」といいだし、体に紫色の斑点が出て、医者に診せたら即刻入院ということで治療したのですが、十一月に亡くなりました。白血病でした。