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概要

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276かし死ぬることは出来ませんでした。それは母が私のために働きながら、一生懸命介護してくれましたから。 原爆乙女として、渡米治療をして貰いましたが、焼かれた体は元の姿にかえることは出来ませんでした。 あれから四十九年、母も亡くなり私一人となりました。整形手術のため、内臓疾患のため、入・退院をくり返しながら生活していますが〝生かされている自分?を思う時、二度と私たちのような苦しみを、悲しみを繰り返してはならないと、現在、若い世代に被爆体験の証言をしております。命の大切さを、戦争の恐ろしさを、人類の生存にかかわる重大な問題として考えて行って欲しいと思います。山岡ミチコ昭和5年3月24日生女学校三年生の時被爆わが子の安否を尋ねて朝日 輝一 当時、可部町農業会に勤務していた自分は、八月六日当日、広島の県農業会本社に出張の予定であったので準備していたら、広島は新型爆弾投下により被害甚大とのことで、直ちに可部警察署に行き、状況を聞けば、広島は死者多数で被害は大きい、電信電話も不通のため詳細は不明であるとのこと。署内は救護班の編成、救護所の設置等準備に忙しく、伝令として出る者も多くなり、間もなく負傷者を乗せた自動車が次から次へと到着して見る間に戦場化してきた。 自分は広島に学徒動員で出動しておるわが子二人の安否を尋ねて、十一時過ぎ、自転車で出発し、途中、祗園町三菱精機広島工場に出勤していた広島工