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概要

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275 語り部として生きる語り部として生きる山岡ミチコ 今から五十年前、私は十五才の女学生として、戦時下ながら夢と希望をふくらませて、広島中央電話局へ学徒動員で出勤しておりました。私は母と二人暮らしで、母は私の成長を唯一の楽しみとして、精根をかたむけてくれていました。 二十年八月六日、原爆投下によって私の人生は大きく変わり、又多くの友をなくしました。今でもあの日のことを思うと、悲しみと怒りで身が震えます。あの日の広島は雲一つない青空で〝水の都?と言われた街はとてもきれいでした。九時の勤務で電話局に向かっている時、B29の爆音が聞こえ、空襲警報も出ていないのに〝おかしいナ?と思って右手を額にかざした瞬間、「ピカッ」とフラッシュをたいた時のような強烈な光りがあたりに光り輝きました。爆弾にやられたと思い心の中で母に「さよなら」と叫び、意識がうすれて行きました。 まわりの声で気がつき、私は石の下敷きになっておりました。石の下でもがき、声を張り上げ叫び続けました。 奇跡的にも母が「ミチコ!」「ミチコ!」と名を呼んで捜し求めている時、足だけ出ている私を見つけ、助けてくれました。首から手・足を焼かれ、ひどいヤケドになっておりました。「早く火のない方に逃げて、薬をつけて貰いなさい」と、母がいいました。その母も全身ガラス傷で、血まみれになっておりました。まわりには内臓の破裂した死体、真っ裸の人、怪我人と、言葉では言いようのない有様で、もうこの世の生き地獄でした。今でも私の脳裏に焼きついたあの時のことを思い出す度に涙が出て来ます。 一瞬にして体を焼かれ、ケロイドとなり、顔はゆがみ、腕は曲がったままの姿になってしまい、私一人だけだったら希望を失い、自殺をしたことでしょう。し