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269 「被爆教師」として生きる「被爆教師」として 生きる森下  弘 先日、被爆後四十九年ぶりに、広島市白島小学校の、原爆五十回忌法要と同窓会に参加しました。その折り、その集まりを主唱されたO先生のお話しが、とてもショッキングでした。 一九四五年八月六日の朝、先生は教室の中から外にいた用務員さんと話をしておられたのが、原爆の爆発の瞬間、戸外の用務員さんは、腰に下げていた鍵をあたりにまき散らし、黒こげになり、即死されたそうです。戸外にいた子供達も幾人か亡くなった由。 まさに運命を分けた内と外、そんな酷い体験が、経験や歴史の中にあったでしょうか。 私自身、当時広島一中の生徒で、動員先の東洋工業から、再動員の形で建物疎開作業にかかっていました。被爆した地点は爆心地から一・五キロメートル、鶴見橋のたもとでした。瞬間、巨大な溶鉱炉に投げ込まれたような感じ、顔面と手足に大火傷を負いました。 家では母が倒壊した家屋の下敷になって焼死、友人や先生方も多く失いました。とりわけ、中学校のプールに浮いていた下級生たち、それを救い上げようとすると皮膚だけが手にとどまって、中身はずるっと抜け落ちた、という話は思い返すのもいまわしいことです。 私も、赤身ののぞく、膿だらけの火傷の傷口を癒かねてうめき通し、大きなケロイドを残したし、私を見舞って間もなく、叔母は放射能のため黒い泡を吐いて死にました。結婚し、子供が出来ても、あの日ガード下にみみずのように黒焦げになり、泥まみれになって転がっていた幼児の顔とオーバラップしてやりきれない思いでした。 だからこそ繰り返してはならない、言わねばならないと、平和教育に証言活動にと頑張って来ました。し