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概要

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266み草の煎汁」を飲ませてくれてたそうです。母と姉の寝ずの看病が続き、火傷部分にには、油と卵の卵白をつけていたそうですが、時間がたつと火傷にガーゼが食い込み、剥ぎ取る時の痛さは、今でも脳裏に焼きついて忘れられません。 意識が回復したのは、十月中頃でした。その後、日がたつにつれて、身体の火傷部分が少しずつ治り出しました。被爆後は顔、首筋の左側面がケロイドで引きつり、「よだれ」が出るし、両腕がケロイドで伸びませんでした。 昭和二十三年夏休みを利用して、日赤病院で股の皮膚を手へ、胸の皮膚は顔へ移植手術をし、十月初旬退院しました。再び昭和三十年頃、広島大学病院に約六ケ月入院し、顔、耳、両腕を矢張り四回整形手術をしました。 この手術の少し後の、昭和三十四年頃ではないかと思いますが、私も動員学徒の会へ顔を出しました。寺前さんや、村中さん、金光さん、温品さん、その他会員の方が、動員学徒犠牲者の救護の為に、一生懸命頑張っておられました。「動員へ出て犠牲になった者が、こんなにも多いのか」と今更のように驚きました。そして私も仲間に入り、上京し、国会議員への陳情、組織づくりに励みました。 五十年たった今も、原因不明のひどい目まいと、身体のだるさにおそわれ、年に何度か意識を失う事があります。現在は、顔面神経痛を患い通院していますが、自分の身体でありながら、自分の身体でない毎日で、健康な身体が欲しいと痛切に思います。昭8年・1・15生中学校一年生の時、被爆