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概要

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246ているのに出会った。私は大変だと中深川駅さして急いだ。 娘の自転車は中堂にあり、まだ帰っていないことを知り、気が気でなく一もくさんに自転車を走らせた。途中三次方面に逃げる人が後をたゝなかった。帰宅後直ちに炎々とくすぶる広島さして急いだ。勿論徒歩である。温品まで行くと広島市の上空は黒煙に覆われ、あちこちから物凄い火柱が上っているのが見えた。市内へは入れないと聞き引き返した。不眠で待ったが遂に娘は帰らなかった。七日午前三時、植田敏裕氏の援助を得、腰弁当で広島に走った。雑魚場町の建物疎開作業だと聞いていたので、中山―矢賀―岩鼻―愛宕―荒神―比治山―富士見―千田町と収容所を尋ね探した。途中矢賀で空襲警報で山中に避難した。火災を避け、倒れた電柱をまたげ電線をくゞり、多くの死体をこえてやっとの思いで日赤病院に辿りつき、罹災者を見て回った。余りにも悲惨な情景は目をおゝいたい程であった。足の踏み入れるところもない程多数の倒れた人、水を求める者、苦しみを訴えるうめき、叫び声、捜し出すのは容易なことではないと思い学校を訪ねた。学校は丁度燃え始めていた。先生が二人おられたが娘の行方は不明であった。本通り―大手町方面へは火災で行けなかった。生徒が多数似島へ運ばれたと聞き、途中の収容所内を捜しながら宇品港まで行ったが、普通人は乗船させないので、止むなく案じながら淋しく帰途についた。帰宅したのは八日の午前一時頃であった。帰ってみると上深川の橋本さんから「娘は日赤入口の左、便所の所に倒れていた、他へ移動しないで待っておるよう申しておいたからすぐ連れに行くように」との通報を受けていた。私達は娘の着物、好物のトマトを持って「どうか生きていてくれるように」と祈りながら直ちに広島に引き返した。 日赤に着いたのは夜明け前で、病院内はまだ薄暗かった。懐中電灯で名を呼びながら照らしてみた。娘は云われた場所に倒れていた。しかしも早や息切れていた。迎えに来るのを今か今かと待ちわびながら「父さん、母さん」と泣きながら叫び続けたであろうことを思うと胸のひき裂ける思いがした。「済まなかった」