ブックタイトルgakuto

ページ
248/326

このページは gakuto の電子ブックに掲載されている248ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

gakuto

234世話になりました。私はお先に行きます。さようなら、さようなら」とお別れしますので「隆雄兄ちゃんの処へ行くのか」と戦死した長男の事を言いますと首をうなずきましたので、「ではお父ちゃんも先に行って待っておられるから、お父ちゃんや、お兄ちゃんの処へ行きなさいよ」と言いますと、「ふうん」と言ったきり息を引き取りました。 主人は基町の中国憲兵隊司令部で七日に亡くなりましたが、最後迄言っておりませんでした。市女の生徒さんが六百人も犠牲になられた中で一番最後迄生きておりました。私当時の実情の半分も書き表す事が出来ませんが、我が子の思い出のために一筆大略致しました。合掌   送る親送らるる子もにっこりと     永遠の別れになるとも知らで故 森本 幸恵母 森本トキ子あの日岩本 節子 当時、私は十三歳で旧制女学校の二年生でした。 爆心地から東南一・四キロの木造校舎内で被爆しました。戦局はもう悪化していて、日本は連日のように米軍機の空襲によって国内の大きな都市はほとんど焼け野原となっていました。広島市では、空襲による延焼を防止するため、避難空地や消防道路を造るため強制的に建物疎開を実施していました。大人の義勇隊の人達が取り壊した建物の後片付けに、私達一、二先生も連日のように作業に狩り出されていました。上級生達は軍需工場に動員されていました。その日、私の学校は二先生が作業に出ることになっていて、学校に集合し訓示を受けてそれぞれの作業地に向かうことになっていました。一年生は家庭待機でした。