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概要

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10▼八月十五日終戦▲ 昼まで避難用の壕を掘っていました。詔しょう勅ちょくを聞いてからは、壕の前に置いたままの道具を取りに行く元気もなく、皆黙って家にいました。十月の終わりになって、形だけの葬儀をする事にしました。仏壇には、入学用に写した唯一の写真と、誰のか判らない骨と、役所から届いた「行方不明」の書き物と、法名だけの葬儀でした。葬儀の最中に兄が復員して帰り、広島の宇品の港から何時間もかけて歩いて帰り、弟の死を知らぬまま帰り、葬儀の日と知って驚きました。男手が増えて心強く感じました。 空襲の危機に備えて、学校から本など貴重な物を生徒が疎開預かりしていました。身の回りの整理をし、本を学校まで返しに行きました。ノートに製図したものを、母は遺品として手元に置き、勉強の証として大事に持っていました。私も国語の旧漢字の辞書に弟の自筆で名前があるのを持っています。現在は使用しない辞書ですが離しがたい物です。あの時返した本を利用して、今も学校での授業があるのでしょうか。 今年は被爆五十周年忌を実家で行いましたが、父母も兄弟も他界し、弟を知っているのは私だけ、胸が痛みます。生存していれば六十歳の弟も、私の知る限り十二歳です。毎年の墓参りにも、戦死の兄と、原爆死の弟と名前だけの墓に参ります。戦争が無ければ、優しかった長兄の戦死も、一番に年の近い弟の被爆も、無かったのに、悔い多き時代でした。弟の墓は平和公園であり、公園の土となっていると信じます。偶然は、私の主人の名前が、「義人」と弟と同じ、嫁の誕生日が八月六日。 八月六日は私の周辺に、忘れ難い人を与え、終生の記念日となりました。母が婿を呼ぶのに、どんな思いでその名を口にしただろうかと思います。 短歌を作る私は、毎年歌誌に発表する「平和希求」の歌は原爆を離れることが出来ません。平和の世にあれば、兄弟睦まじくあったものを、命令とはいえ家族と別れ、出征した人達、若い命を数限りなく奪った戦争は、絶対にあってはならないのです。戦争を経験した者の責任として、声高く叫びます。