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概要

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9 小さき骨を拾いぬた。当直の年輩の先生の話で「全員死亡」と絶望的な言葉でした。疎開作業の現場を聞いて行きましたが、中島本町に立った時の驚きは、言葉にはなりません。大きな建物の数は数えられる程で、広島の駅が何もさえぎる物も無く、目の前にありました。 破壊された建物の間からうめき声がして、死体とみた人が生きていて、名前を尋ねると答えてくれたので、灰で近くの木切れに書いて置きましたが、家族がうまく見つけられたか、おそらく爆心地なので、家族全員被災の人かと今も気がかりです。死体の処理は兵士が動員され、夏の暑さに怪我人はすでに腐乱が始まり、異臭があたり一面と、まるで地獄の絵図と同じでした。死体には蛆が這い、まだ生きている人の体にも、皮膚の下を蛆がうごめいていました。死体は同じ服装の人を集めて山と積み、油をかけて焼いていました。 処理にあたっていた兵士から、学童の群れをここで焼いたと教えてもらい、山とある骨の中から、桐の箱に少しずつ四方から拾いました。兵士の話には、まだ手足の動く人もいたとか、猛暑のこと腐乱が激しく、やむを得ない事とはいえ、残酷極まりないものでした。 川から引上げた物に遺品でもと思い、探していて、見覚えのある防空頭巾を拾いましたが、名前は焼けてわからず、切れ端を持って帰り、骨の入った箱と頭巾の端を母に渡しました。それを受け取った母は胸に抱き、大声で泣きました。その声が今も頭にこびりついています。母は原爆症で髪が抜け、丸坊主になり、また口よりの出血も多く、下痢と長い間寝込みました。その後も毎日、姉と私は収容者名簿を捜し歩きました。市内は全部、郊外の収容所まで数限りなく歩き続けました。日々増してゆく死亡者、収容された怪我人、名前を繰り出して見るのも大変な事でした。 炎天の中、長袖の服に水筒の水はすぐに飲みましたが、町の中の水は飲むことが出来ず、疲労の極みでした。長袖の黒衣は目立たないので、空襲の危険を避ける物でした。食事はただ梅干しだけの三食でした。