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概要

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199 被 爆体に重圧が加わってきた。暗黒と壁土の臭いの中で、次第に増す重みを感じながら、直撃弾にやられたなと思い、その瞬間、不思議にも死の覚悟ができた。幸いにもわが家は半壊だった。辺りを見れば家が軒並み倒壊しており、あちこちから「助けてくれーっ」と叫ぶ声、方々に火の手が見え、市の中心部方面は大火災と見えた。瓦礫だらけの道路はまさに地獄絵、よろよろと南へ逃げる人たちはちぎれたぼろ布が垂れ下がった半裸体、皮膚は焼けただれ、酷い人は剥げた皮膚が手先から垂れ下がっている。帽子は無いがその跡だけ毛髪が残り、一目で中学生と判る人、皆火傷や土埃だろうか真っ黒だ。後に母から聞いたことだが、そんな中の一人が「おばさん」と声を掛けてきた。「あんた誰?」「中西、今から帰ってみる」母は唖然として「気をつけて」と見送ったそうだ。近所の同級生だった。 私の家族もそれぞれ負傷、火傷を負って先に避難し、姉と私は隣家で生き埋めになった叔父の救出作業をした後、一人一人避難した。御幸橋附近では倒れ込む人も多く、橋の歩道には負傷者がずらりと並べられていたのが今も目に浮かぶ。東詰めの下手では軍の船が重症者を収容していた。まさかの時には五日市の知人宅へ避難することになっていたので、昼近くの干潮を待って川から川と、火を避けて渡った。背中を火傷した魚がひょろひょろ流されてきた。水面近くにいたものか? 後ろから「目が見えんようになった」の声、中学生か、顔上半身が焼け爛れ、顔が腫れて瞼が塞がったと見える、手を添えようにも、触れればずるりと剥けそう。「こっちだ」岸まで声で誘導した。その人がその後どうなったか今も心に引っ掛かる。 宇品の神田神社で避難生活をしている家族に再会したのは三、四日後だった。それからは、買い出し、炊事、それに加古町方面の疎開作業に出たまま行方不明の下の姉の捜索がただ一人無傷の私の日課になった。本川町付近では数体ずつ遺体を焼いていた。相生橋の南方面にはあちこちに遺骨が埋められて、地面には〝えぶ札?が付いた細竹が立ててあった。氏名が書いてあるのは珍しく、ただ男、女とか、中には性別不詳