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概要

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188山橋に着くまでにも沢山このような人に会いましたが、橋まで来て見るともっと悲惨でした。歩く力もなくなった人たちがほとんど裸の状態で道端に寝転んで「水」「水」とうなっているのです。私達はその人たちに何もしてあげられないままに、息をのむようにして橋を渡りました。橋を渡る頃からやけに運動靴の裏が熱いなと感じておりましたがそれが広島の街を焼いている炎のせいだと知らされたのは、橋を渡りきったときでした。たまたま、観音へ動員で行っていた上級生の何人かが自転車で通りかかったのです。「君達は何処へいくんだ」と聞かれるので「学校の様子を見に」と答えますと「そりゃ無理だ。地面が焼けているし、街もどんどん燃えている。自分たちも学校へ行きかけたがこの通り引き返しているところだ」ということでしたので、私達もまた地獄の中を兵器補給廠へ引き返しました。兵器補給廠へ帰って見ますと、出て行ったときと全く様相が変わっておりました。構内の地べたが、怪我人でびっしり埋まっているのです。「痛いよう」「お母ちゃん」「水をくれ」……比治山橋の風景が倍にも三倍にもなって私の前に地獄をみせるのです。何もできない私達は倉庫の片隅にあった先生方の控室に入って呆然としておりました。(中西淳雄さんは一九九五年四月二日亡くなられた。この文は一九九〇年八月六日、中二の平和学習での講演の一部である)(当時中学三年 動員中、霞町の兵器支廠で被爆)