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概要

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184二十人くらいだったろうか。負傷者は救急治療を受け、防空壕で休息する人達もいた。 私は樽佐君の事が気になり防空壕に入らず、元安川の堤防道路を避難して行く人達を眺めていた。元安川の向こう岸は凄い勢いで炎上しているのが見える。(大園平吉校長邸で) 先生、生徒が校庭西側にあった校長邸に呼ばれ、湯気のたつジャガ芋をご馳走になった。美味しかった。校長邸では、これからの対処方針が話題になっていた。(火災が拡大して危機になったら元安川に廃材を浮かべて避難する場合もある) 生徒は帰宅することになり、経路別にグループを作って行動することを指示された。私達は芸備線グループ、馬場、福岡、和木の三人が一緒に帰ることになった。残念だが、樽佐君は残さざるを得なかった。 後日、学校から父兄にお知らせして対応することになった。(芸備線グループの足取り) 芸備線に乗る駅は火災から離れた矢賀駅にきまった。ここ千田町からの脱出は、火災が比較的小規模と思われる市内南側を通ることになった。 市内の火災はドンドン広がって来ている様だし、自信ある経路なんて無かった。勿論、市内は停電、電話は不通で、ラジオ放送もなく、情報収集はもっぱら避難して来る人からの伝聞だった。 私達、芸備線グループの三人が千田町の学校を出発したのは、多分お昼過ぎだった。目指すは芸備線の矢賀駅、学校の校庭から川沿いに下がり広島工業専門学校の裏門を抜けて、御幸橋、皆実町、段原を経て猿候川を渡って府中、芸備線の矢賀駅へと安全な道を探しながら黙々と歩いた。途中、様々な生地獄を傍観しながら、火事、煙の中を潜り、府中の辺りまで来て見慣れた尾長の岩山、後の山は緑色のままだ。これで間違いなく矢賀駅に行けるぞ! これなら矢賀駅も大丈夫だろう。そう思ったら、やっと緊張が解けてきた。 目的地の矢賀駅に着いたのが午後三時頃だったと思う。芸備線はこの矢賀駅で折り返し運転をしていた。私達三人は蒸気機関車が引っ張る列車で帰路につい