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概要

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148熱い、体が焼ける堀  輝人 八月六日の原爆の朝、弘明は、朝七時半までに登校しなければならないので、草津の自宅を六時半頃に出発した。虫が知らせたのか、祖母の語るところによると、当日朝起きる時に「今日はタイギーノー」と言ってなかなか起きなかったそうである。また、「広島は五、六日頃は危険なのだそうだ」と、前夜独言を云っていた由である。なんとなく、二、三時間後の広島の惨事を虫が知らしていたのであろう。 日頃、本人はアズキ飯がすきなので、前夜五日の夕食にこれを作って食べさせたところ、非常に美味しいと云って腹一杯食べ、あくる朝もまた、昨夜の残りをくれと言って、これを非常に美味しそうに食べ、急いで家を出発したそうである。一時間後には、原爆という、世にも恐ろしい生地獄が身の上にふりかかるとは夢にも知らず、出て行ったのである。出発に当たり、足が重かったのも無理からぬことと思った。 しかし、当時の学徒は皆ガン張って、勝つまでは一億一心となって戦うという気魄が満ち満ちていた。だが、今になって考えてみれば、当日は、なんとかして無理にでも引き留めておけば、こんなに悲歎にくれることはなかったろうにと悔まれてならない。いま生き長らえていれば、もう大学の三年生になって、立派に力強いことだろうにと愚痴をこぼしてみることもある。私はこの記事を書き書き幾度か涙がにじみ出て原稿用紙をぬらし、涙でペンの先がボンヤリと見えなくなるのである。 あの日、私は、同郷の草津町の三島、田村と三人で、三人の子供(ともに一中在学)をさがしに出た。一中のグラウンドの芋畑の中で「一中の生徒はいないか」と連呼した。そこここからかすかな返事が聞こえた。誰もみな息たえだえであった。二、三人がかたまって横になっている。息の絶えているのも数名い