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概要

gakuto

138胸の高さに手を上げてノロノロと歩き続ける人たちは、無声映画のスローモーションのイメージのように思えた。その人たちは折り重なって倒れ、再び立ち上がることはなかった。二、三の生き延びたクラスメートと共にその行列に加わって、死体や瀕死の人々を踏まないように注意して、二葉山に向けて歩いた。 二葉山の麓には東練兵場があり、そこは小声で水を求めて呟く瀕死の怪我人で埋まっていた。「水を、水を」と求められても、バケツもコップもなく、兵隊たちがそれらの人々に水をあげることを禁じた。水を飲むと早く死ぬるという理由だった。医師、看護婦も見つけられなかった。私たちは近くの小川で血を洗い、そして破れた衣服を裂いて水に浸し、水を求める人たちの口を湿してあげた。その人たちは、チューチューと音をたてて必死に水分を吸った。私たちは終日その作業をした。夕暮れには山の丘に座って、山積みの死体を見ながら、死にあえぐ人たちのうめき声を耳にしながら、広島全体が焼けるのを無感動で眺めた。 街の中心では七、八千人の中一、中二の学徒たちが、市中全校から動員されて家屋疎開の作業に当たっていた。私たちの女学院一、二年、数人の先生を加えて三百五十一人ばかりが、そこで即死、跡形もなく蒸発した。多くは火傷で膨れ上がり、お互いの声だけで相手が誰か分かったと聞いた。私の従妹、女学院一年の難波時子も、私の義姉で、その年できたばかりの広島女子高等師範学校から山中女学校の監督として作業していた人々も、二度と目にすることはできなかった。 私の親友、村本節子もその場で働いていたが、幸運にも生き延び、多くの友人の生命の最期を目撃し、生き残った私たちにその時の状況を話してくれた。皆で泥水を飲みながら、数学の米原睦子先生の勧めで円状に集まり、小さな声で讃美歌を歌ったと言った。その讃美歌の一つが『主よみもとに近づかん……』(讃美歌三二〇番)で、歌いながら一人一人死んでいった。米原先生が、「歩ける人は一緒に日赤病院へ参りましょう。私の肩にもたれて下さい」と言われたので、村本さんは先生の右肩に手をやると、ズルッと皮膚と筋肉が取れて肩の白い骨が見えた、と報告した。病院には