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概要

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132爆心地から七百メートルの地点で小方 澄子 私たち家族は広島市榎町に住んでいましたが、家屋の強制疎開を命じられて、とりあえず爆心地にさらに近い十日市町に移っていました。八月六日の日は、家に伯母、私、弟二人(五歳と三歳)がおりました。母は八月五日に学童疎開に行っている弟(国民学校五年生)の所へ面会に行っていました。父は昭和十六年八月に、赤紙一枚で五人を残し、日中戦争へ出征していました。 当時、私は女学校二年生でした。前日は空襲警報発令の連続で睡眠不足のため、その日は体調を崩して学校を休んでいました。朝トイレから出た瞬間、突然の轟音。家の下敷きになり気絶していたのだと思います。頭上で私の名前を呼ぶ伯母の叫び声で気が付き、必死で返事を繰り返しました。伯母は私の声が聞こえる辺りの瓦を一枚ずつめくってくれたそうです。真上から聞こえる叫び声の方に、必死の思いで這い上がると、辺りは火の海でした。恐ろしさに声も出ませんでした。伯母は瓦礫の中から弟たちを助け出し、私は三歳の弟を、伯母は五歳の弟を背負って逃げました。 家から西電話局の建物を目指して逃げるのですが、道路らしいものはなく、倒壊した家の中から這い出る人やうめき声、傷ついて逃げることのできない人たちの中を、死にもの狂いで広瀬橋にたどり着きました。すでに橋の欄干は燃えていて落ちる寸前でした。西へ西へと逃げました。川の中は熱さのためか水を求めてか、飛び込んだ人たちでいっぱいでした。何時間歩き続けたことか、次の川にたどり着いた頃、力尽きて川辺にかがみ込み背中に手をやると、弟はしっかりとしがみ付いていました。うれしさで思わず弟を抱きしめると、涙が溢れ出ました。それから、私は嘔吐や下痢が始まり、川のそばから離れることができなくなりました。