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概要

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121 下敷きとなった講堂から 牛田山には、学校の広大な敷地があり、修練場もあった。女学生時代には勉強の合間に、精神修養の場となったり、鍬を振るって野菜を作ったり、炭を焼いたりした。戦時中は、教師も生徒も力を合わせ、額に汗して食糧増産に励み、それは貴重な体験の場でもあった。牛田山に着いて、ホッとしたのも束の間、誰言うとなく「下の町から火が上がって来た」と伝わってきた。山火事に巻き込まれては、とても逃げきれないと思った時、学校からずっと行動を共にしてきたMさんが、広島市郊外の自分の家に「一緒に逃げよう」と誘ってくれた。私は自分の家がある市内から遠ざかるのはとても不安であったが、少しでも安全な所へと言われて同道することに決めた。当時、Mさん一家は芸備線の中深川という所に疎開しておられた。中深川に行くには、芸備線の汽車に乗らなければ行けないし、広島駅に出る道は、燃えていて危険だという。牛田山を越えるしかなかった。時計もなく時間が分からない。昼はもうとっくに過ぎていたように思う。 Mさんと私、それにもう一人の友人Tさんと三人連れで、不案内な山道に入った。山をさまよいながら歩くこと数時間、いつの間にか道をそれていた。衣服は木の枝や萱などに引き裂かれ、身体のあちこちすり傷だらけになりながら、靴も脱げて裸足で歩いていた。朝からずっと何一つ口にしてはいなかったが、その時は空腹を感じることもなく、ただ逃げのびることに懸命であった。いつしか陽も暮れて、辺りが次第に暗くなり、不安と怖さで後を追われるように、だんだん足速やになって歩く。お互いに声を掛け合い、やっと戸坂駅の小さな明りを見つけた時は心からホッとした。遠くの方で汽車の汽笛が鳴る。乗り遅れたら大変とばかり、三人は一斉に走り出していた。 三次行きの汽車は、大勢の避難者でデッキまであふれていたが、私たちはなんとか乗り込むことができた。乗客のほとんどは怪我人で、床に身体を横たえており、かすかにうめき声も聞こえた。薄暗い車内は、むせかえるような暑さと、火傷でただれた皮膚の臭いであろうか、吐きたくなるような異臭が一面に漂っていた。