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概要

gakuto

113 同年代三人の方々の死られてしまい、外からは姿が見えず、父が急いで家に戻った時、「助けて、助けて」と叫ぶ声だけを頼りに、瓦礫をかき分け捜したら、足の親指だけが覗いているのを見つけ、そこを死に物狂いで取り除いたそうです。何とか外に引っぱり出すことはできましたが、ガラスの破片が体中あちこちに刺さった状態でしたので、とても簡単には動けませんでした。 私は一刻も早く安全な所に行かなくてはと思い、その時、上司のH中尉が「家族に怪我人がいたり、家が焼けてしまったりした人は、海田高女へ連れて来るように」と言ってくださったことを思い出し、軍のトラックを出していただけないかお願いに行こうと、弟と二人で矢野の元本部まで歩いて行くことにしました。国道に出ると広島を脱出するため、ボロボロになった服を引きずり、よろよろと倒れそうになりながら東に向かっている人たちが何人もいました。幸いに、「翌日、軍のトラックが市内を回ることになっているから、吊り橋の下に夕方出ているように」との言葉に安心して、また、同じ道を歩いて比治山の壕まで帰りました。 壕の中には、十数人の人が避難して来ていたと思いますが、その中に、赤ちゃんが行方不明になった若いお母さんと、女子商の生徒さんが一人いました。私とあまり年の差がないと思われるお母さんは「お乳が痛い、痛いよ」と、一晩中うわ言のように言い続けていました。お乳を飲んでくれる赤ちゃんがいないので痛むらしいのです。また、女子商の生徒さんは、ほとんど口をきかず、何も言わないで横たわっていました。壕の中の人たちも皆、無口でした。そんな中で、私は昼間の疲れから眠ってしまいました。 翌八日の朝、目が覚めると、誰の声も聞こえず、しんとした静けさでした。お二人とも、夜中に息を引き取られたのを知りました。その姿は、もうそこにはありませんでした。あの人たちは、どこへ連れて行かれたのでしょう。昨日、見たばかりのうす暗い谷間の風景が目の前に浮かび、急に悲しさと寂しさが込み上げてきて、私は、何も言うことができませんでした。最近になって、私はあの時、せめてお名前だけでもお聞